これを切っ掛けにして、オーランドは歌手に復帰。オーランドは、テルマ・ホプキンスとジョイス・ヴィンセント・ウィルソンをバックコーラスにして、ポップスグループ・ドーン(Dawn)を結成した。1971年には「ノックは3回(Knock Three Times)」」をリリースした。「ノックは3回」は、ビルボード誌で、1971年1月23日から3週間週間ランキング第1位を獲得した。ビルボード誌1971年年間ランキングでは第10位だった。
1973年に、ドーンは「Dawn featuring Tony Orlando」名義で(ただし、日本版の名義は「ドーン」のままだった)、「幸せの黄色いリボン」をリリースした。「幸せの黄色いリボン」は、ビルボード誌で、1973年4月21日から4週間、週間ランキング第1位を獲得した。ビルボード誌1973年年間ランキングでも第1位だった。ビルボード誌の集計では、ドーン最大のヒット曲となった。
同年、ドーンは「トニー・オーランド&ドーン」(Tony Orlando & Dawn)名義で(ただし、日本版の名義は「ドーン」)、「嘆きのジプシー・ローズ(Say,Has Anybody Seen My Sweet Gypsy Rose)」をリリースした。「嘆きのジプシーローズ」は、ビルボード誌では、1973年9月15日に週間ランキング最高位の第3位を獲得した。ビルボード誌1973年年間ランキングでは第34位だった。また「いちご畑のサリーちゃん」、「夜のブギ・ウギ・パーティー」などの楽曲もヒットさせた。
1975年、トニー・オーランド&ドーン(このとき、日本版の名義も「トニー・オーランド&ドーン」だった)は、「恋のシーソー・ゲーム(He Don't Love You (Like I Love You)」をリリースした。「恋のシーソー・ゲーム」は、ビルボード誌で、1975年5月3日から3週間、週間ランキング第1位を獲得した。ビルボード誌1975年年間ランキングは第18位だった。さらに「ルッキング・マイ・アイズ」や「キューピッド」なども発表した。