ここまではビート・ロックやサイケデリック・ロックの影響下にあるサウンドを聴かせていたが、チャンドラーの指導によりイメージ改革に乗り出すこととなる。スレイドへ改名し、派手な衣装をまとい、ポップなメロディーに豪快かつタイトなリズムを合わせたサウンドを創出。ティーンエイジャーから厚い人気を得るようになり、1971年のシングル『だから君が好き(Coz I Luv You)』で英国シングルチャート1位を初めて獲得。
また、時期を同じくしてライブ・パフォーマンスに対する評価が上がり、1972年発表のライブアルバム『スレイド・アライブ(Slade Alive!)』は英国アルバムチャート2位まで上昇。すかさず発表したスタジオ盤『スレイド?(Slayed?)』は1位を獲得。以降『スレイデスト(Sladest)』『大狂乱スレイド一座(Old, New, Borrowed and Blue)』の2枚のアルバムも1位を獲得。「シングル盤」も『Coz I Luv You』の後も『恋のバックホーム(Take Me Bak 'Ome)』『クレイジー・ママ(Mama Weer All Crazee Now)』『カモン!!(Cum on Feel the Noize)』『スクィーズ・ミー、プリーズ・ミー(Skweeze Me, Pleeze Me)』『メリー・クリスマス・エヴリバディ(Merry Xmas Everybody)』と1973年までに計6枚が1位に入った。また73年の「グッバイ・ジェーン」や「ムーブ・オーバー」なども人気曲である。英国内では、Tレックスやデヴィッド・ボウイ、スウィート、スージー・クアトロなどと並ぶ人気ミュージシャンになった。
そしてスレイドの復活を決定的にしたのは、1983年にクワイエット・ライオットが『Cum on Feel the Noize』をカヴァーして大ヒットさせたことだった。これによりオリジナルのスレイドへの注目度が上がり、『マイ・オー・マイ(My Oh My)』『ラン・ラン・アウェイ(Run Runaway)』が英国チャートトップ10入り。アメリカでも『Run Runaway』が20位に入り、同地では1970年代を超える成功を収めた。