アーティ・ショウ(Artie Shaw : Arthur Jacob Arshawsky、1910年5月23日 - 2004年12月30日)は、アメリカ・ニューヨーク出身のジャズクラリネット奏者。作曲家としても知られ、自らのバンドを率いた。また、さらにフィクションおよびノンフィクションの著述家としても知られる。
「ジャズ界における最も素晴らしいクラリネット奏者」の一人と広く見なされ、アメリカの1930~40年代のポピュラーなビッグバンドのリーダーとして君臨した。1938年、コール・ポーター作曲の「ビギン・ザ・ビギン(Begin the Beguine)」を編曲、RCAレコードからのリリース盤は大いに成功したシングルとして、この時代を代表する録音であった。
1935年(25歳)、ニューヨークのインペリアル・シアターのスウィング・コンサートにおける『B-フラットの間奏曲 'Interlude in B-flat'』で初めての大きな称賛を受ける。この曲では彼は後に下がり、リズム・セクションと弦楽四重奏だけを前面に押し出すというような、のちに「サード・ストリーム」と呼ばれるアレンジメント(編曲手法)を最も早く取り入れたように、当時においては画期的な演奏スタイルを試みて、ビッグ・バンドの操り方に変革をもたらした。そして、スウィング全盛の時代を通じて、『ビギン・ザ・ビギン 'Begin the Beguine'』『スターダスト 'Stardust'(トランペット・ソロはビリー・バターフィールド)』『バック・ベイ・シャッフル 'Back Bay Shuffle'』『 ムーングロウ 'Moonglow'』『ロザリー 'Rosalie'』『フレネシ 'Frenesi'』などのヒットを飛ばし、彼のバンドは大衆的な支持を得た。
1938年には、ドラムのバディ・リッチを加えて、またビリー・ホリディをバンドのフルタイム専属歌手に据え、黒人女性ヴォーカリストを採用した最初の白人バンド・リーダーとして、まだ黒人隔離政策の残る南部諸州へのツアーを行った。しかし、『エニィ・オールドタイム 'Any Old Time'』を録音の後、南部の聴衆からの反発、そしてもっと「主流の」歌手をという音楽会社の重役たちの欲求を受けて、彼女はバンドを去ることになる。
1970年代にはテレビのインタビューで、(かつて)楽団が連夜の演奏を強いられたことについて、しばしば、それを「ロバが歌っている」ようだったと嘲笑した。また1994年には、ニューヨーク・タイムスのフランク・プライアルに対し「多くの人は ”Begin the Beguine” を望んだのでしょうが、私はアーティ・ショウであったがためにやりたいことをやれたと思う」と言っている。